狸予備軍 <ALAO>

f0215496_0502426.jpg

初めて沖縄に行ったのは、返還された年だから1972年の秋。返還はされたものの、クルマは右側通行、左ハンドルのまま。食べ物といえばアメリカ兵あいてのステーキ屋ぐらいで、おいしいものはなかった。
クルマで名護のほうまでたびたび行ったがずいぶんと時間がかかったような記憶がある。那覇で泊まったホテルは丘の上のヒルトンだったろうか。忘れた。そのころはまだ首里城は復元されていなくて沖縄大学があった。沖縄の中心は嘉手納基地で、アジア的な雰囲気は希薄だった。
僕は沖縄のロケがあまり好きではなかった。天気が悪いからだ。サイパンやグアムのようなつもりで行くと痛い目にあった。海外ロケができない場合に、沖縄でということもよくあったのだが、沖縄の天気がいいのは、梅雨があけた6月7月8月ぐらいでわざわざ南国を求めて沖縄に行く理由はなかった。なにしろロケに行くのは日本が寒い時だ。運を天にまかせて結局一日も晴れず、、サイパンで再撮なんてこともあった。
あの頃沖縄文化は潜伏していて、どこか殺伐とした街、といった印象だった。
JALやANAの沖縄キャンペーンでは、青い海って宣伝するけど、それは夏のことで、決して常夏の国ではなかった。夏だったら本土だって、夏だ。
一度、1月のサイパンで化粧品のロケをしているとき、A社の沖縄キャンペーンの撮影を、サイパンでやっていた。1月の沖縄は天気もあまりいいとはいえないから、ちょっとフェイクだけれど、サイパンでといったところだったのだろう。同時期の撮影だったので軍艦島でよく一緒になった。え、沖縄キャンペーンをサイパンで?って疑問に思った。そのせいかわからないけど、A社のそのロケは公開されることはなかった。やっぱりまずかったのだろう、その後本当に沖縄で撮ったようだ。
首里城が復元されたのはは90年代だ。その後の沖縄はみるみる発展し、食べ物もずいぶんとうまくなった。きっと嘉手納基地から沖縄の中心は、首里城になったからだろうかアジア的なエキゾチック場所になっていった。だから今の沖縄は好きだ。それからたびたび行くようになった。好きな場所は那覇の桜坂と金武の街の社交街。
この写真は5、6年まえのこと。首里城に修学旅行生がつぎつぎにやってきた。そこに超ミニの集団。新潟からやってきたという。実は新潟の女子高生のミニが一番短いと聞いた。ほんとだろうか。確かに短い。ばっちり化粧をしている子もいた。元気な女の子たちにくらべて、地味な学生服の男の子たちは、とてもおとなしかった。
[PR]
by aypc2009 | 2010-11-23 01:23 | しり撮り
<< タイムスリップ tomo おとぎばなし <HIRO> >>